異世界[恋愛]

「はかなくて無力な令嬢を演じてほしい」と公爵様に頼まれましたが、わたくし、素手で熊を追い返す女ですので ~よろめけば柱が折れますが、御家の危機はぜんぶ片づけておきました~

辺境ヴァルトナー男爵領には、崖と猪と熊しかない。十のころから背負い籠で斜面を上下してきた男爵令嬢アガタは、十八歳にして「素手で熊を追い返した娘」と村で呼ばれている。

その彼女に、王都のバーレンシュタイン公爵家から、途方もない依頼が来た。

「三月のあいだ、はかなくて無力な令嬢を演じていただきたい」

先代公爵の遺言にはこうある。――我が子が家門の印を継ぐは、己より弱き者ひとりを己の屋根の下に三月置き、これを損なわずして返し得たるときに限る。

すでに三度、客人は損なわれた。毒、悪評、階段。|験《ためし》は四度をもって終わり、今回が四度目である。成らねば公爵家の印は、叔父の手に落ちる。

だから公爵に必要なのは、弱く見えて、決して損なわれない令嬢だった。

報酬は金貨二百枚。去年の雪で落ちた領地の橋が、それで架かる。領地の一年の実入りは、十五枚である。

――受けた。迷う理由など、ひとつも無い。

弱き者である証は、遺言の付記に三つ。

 一の|徴《しるし》。自ら重き物を持ち上げぬこと。

 二の徴。自ら刃を帯びぬこと。

 三の徴。自ら声を荒げぬこと。

守れる。守れるはずである。

……よろめいて指を添えれば、飾り柱が根元から折れる。そっと目もとを押さえれば、麻のハンカチが裂ける。毒入りの菓子は匂いで分かってしまうので、一口も食べずに、出した方へたいへん丁寧にお勧めする。

「どうぞ、お先に」

ところが社交界は、その全部を「底の知れなさ」と受け取った。陰謀は片端から物理で片づき、伝説だけが勝手に育っていく。三十日で壊したものは五つ。徴のほうは、一つも破っていない。

そして公爵ライナルトだけが、最初から気づいている。気づいたうえで、必死に笑いを噛み殺している。

「……いえ。埃が、目に」

守られるために来た娘が、守る側になってしまう。守る立場の男が、守られる幸福を知ってしまう。

九十日で、家門の印と、辺境の橋と、心の置き場所が決まる。




下記でも連載中
カクヨム、ハーメルン

BK小説大賞2 / 集英社小説大賞7 / コミックルーム大賞 / アイリスIF9大賞 / ESN大賞11 / 女主人公 / ハッピーエンド / 身分差 / ラブコメ / 異世界恋愛 / 怪力 / コメディ / 勘違い
全25話完結 2026/08/11 08:10更新
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最終取得日時:2026/09/26 12:08
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